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素晴らしい絵本に囲まれ、豊かな情操を育みながら、蝶よ花よと両親に大事にされてすくすくと育った私。文学少女への道を順調に歩んでいた?かもしれない私の心を、強い力でわしづかみにし、ケモノ道に引きずり込んだのが、本格的な黄金期を迎えつつあったテレビでした。中でも私が小学校に入学する前後に始まったバラエティー番組『8時だョ!全員集合』には、“完全に持っていかれた状態”。もとは音楽バンドであった男性5人組のザ・ドリフターズ(番組開始時の初期メンバーはいかりや長介・加藤茶・荒井注・高木ブー・仲本工事の各氏。通称「ドリフ」)によるコントを中心に、人気歌手や俳優をゲストに迎え、歌や踊りもふんだんに盛り込んだこのバラエティーショーは、1969年から16年の長きにわたりテレビ界に君臨し、歴代最高視聴率は50.5%を記録したという正にモンスター級の番組でした。この当時、土曜の夜8時には日本中の全ての小学生がお風呂も夕食も済ませ、茶の間のテレビにかぶりつきで、いかりや長介さんの「8時だヨ!」と叫ぶダミ声で始まるこの番組を今か今かと待っていた、と言っても過言ではないでしょう。

週明けの小学校の教室は朝からこの番組の話題で持ち切り。皆でドリフのギャグの物まねをして盛り上がっていました。今振り返ればどれもかわいいレベルのギャグばかりなのですが、当時の親や先生たちは「低俗」「教育に良くない」「有害番組」と眉をひそめていました。いかにも男の子が喜びそうなフィジカルでラフなギャグの数々に私の母もあまりいい顔はしませんでしたが、不思議なことに(少なくとも私の)学校では男子も女子も分け隔てなく、誰もがドリフのとりこになっていました。

その大きな理由のひとつに、このコンテンツが持つ“ライブのパワー”があったように思います。ステージに大きなセットを組んで展開するコント、体育の授業で使うようなマットを敷き詰めて行う床体操、人気歌手が登場して歌を披露するコーナーなど盛りだくさんの内容が詰め込まれた1時間を、何と毎週生放送していたのです!しかも全国各地の体育館やホールを巡業していたのですから、その準備と本番進行の大変さは想像を絶するものがあります。実際、放送中に演出用の火がセットに燃え移ったこともあり、このハプニングを焦りながらも何とかギャグに落とし込もうとする加藤茶さんに図らずもコメディアンとしてのプロ根性を見るような場面もありましたが、そうした予測を超えた出来事も含めて、演者と裏方が一体となって1時間のショーを生み出してゆく強烈な“ライブのパワー”がみなぎっていたのです。

もうひとつ、このコンテンツのパワーとして私が強く感じていたのは、「いい大人が全身全霊をかけてバカをやる」という、ある意味それ自体が壮大な自己矛盾的ギャグであるかのような、大きなエネルギーのうねりでした。自分たちのような年端も行かない子どもを笑わせるために、親よりも年上の大人たちが真剣そのもので全力を尽くしている。その当時の私はエンターテインメントという言葉を知る由もありませんでしたが、ドリフが私の心に焼き付けたのは「これこそがエンタメだ!」という感慨、そして「こんな風に人を笑わせるようなお仕事がしたい」という職業観の小さな芽生えでした。 …と、期せずしてドリフ愛を爆発させてしまいましたが(笑)、こうして私の幼少期は、名作絵本やディズニー作品に育てられたお花畑にドリフのフィジカルでライブなギャグという肥料をたっぷりと注ぎ込むことによって、より肥沃なエンタメ土壌を醸成していったのです。