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父の仕事の関係で、小学校1年生の学期中にアメリカに移ることになりました。移住先はアラスカ州アンカレッジ。北海道生まれの私には現地の寒さはさほどこたえませんでしたが、ドリフやサザエさんなど大好きな日本のテレビ番組が見られなくなったことが、何より耐え難い苦痛でした(笑)。

両親としては“教育に良くない”番組から引き離すことができて安心だったかもしれませんが、一方で日本語を忘れることを心配し、「小学一年生」などの学年誌を船便で取り寄せてくれました。その荷物にはいとこたちが選んでくれた漫画本も入っていたのですが、いとこは男の子が多かったので、少年マガジンやチャンピオンなどの少年誌ばかり。赤塚不二夫さん、楳図かずおさん、永井豪さん、谷岡ヤスジさんなど、後に巨匠と呼ばれるようになる漫画家の作品を浴びるように読めたのはこの船便のおかげです。作品としては赤塚不二夫さんの『天才バカボン』などがお気に入りでした。漫画でも「いい大人が全身全霊でバカをやる」コメディーが好きだったのです。渡米によってドリフは見られなくなっても、船便の『バカボン』でその嗜好を充足し続けていたわけですね(笑)。

少年誌と併読していたのは伝説の青年漫画誌「ガロ」。社会的な視点を持った独自の世界観を愛好していました。この時代の漫画には大人の世界を背伸びしてのぞき込む社会の鍵穴のようなところがあって、子どもの知的興奮をかき立てるコンテンツとしての厚み、豊かさに満ちていたのです。社会性と言えば、両親が購読していた「ナショナル ジオグラフィック」誌も私にとっての社会に開いた窓でした。当時のアメリカ社会に暗い影を落としていたベトナム戦争の内実について知ったのも、この雑誌の記事を通じてです。

アメリカのテレビ番組で好んで見ていたのは『サタデー・ナイト・ライブ』。これも「いい大人が全身全霊で…」の伝で、チェビー・チェイス、ジョン・ベルーシ&ダン・エイクロイド(“ブルース・ブラザース”)など、イキのいいコメディアンのドタバタギャグをリアルタイムで楽しんでいました。“ブルース・ブラザース”はブラック・ミュージックへの敬意にあふれるバンドですが、ブラック・ミュージックと言えばその専門番組『ソウルトレイン』も大好きで、いつも踊りながら見ていましたね。顔をおおった指のすき間から見るようなドキドキ感を楽しんでいたのは『トワイライト・ゾーン』の再放送。SFテレビドラマシリーズの元祖とも言える名作で、あのテーマ曲を聞くと今でも不安と好奇心の入り混じった当時の感情を思い出します。

アメリカのテレビコンテンツで特徴的だったのは、放映時間によって“子どもの時間”と“大人の時間”が明確に分けられていたこと。例えばアニメは週末の朝にしか放映されていませんでした。アメリカでは大人がホームパーティを開く時には子どもは自分たちの部屋に追いやられるのですが、大人の時間には子どもに我が物顔をさせない、甘やかさないという明確な意思がテレビ番組の編成にも表れていて、とかく子どもを中心に置く日本とは違う印象を持ったことを覚えています。

小学校高学年になると行動半径も広がり、友人たちと外出するようになりました。週末は映画館まで親の車で連れて行ってもらい、夕方まで友人たちと映画を楽しむのが習慣でした。当時のお気に入り作品は『がんばれ!ベアーズ』。登場人物の子どもたちが小学生の私にとって等身大の存在でしたし、個性豊かな面々から自分の“推しメンバー”を選ぶのも楽しかったですね。同時期には『ジョーズ』『未知との遭遇』などの名作も目白押しで、数多くの作品を劇場で楽しみました。 私が映画というコンテンツに本格的に触れ、その魅力に目覚めたきっかけは、この毎週末の映画館通いだったと言えるでしょう。気に入った作品はノベライズ小説を買って文章で再構築された世界観を味わい直したり、サウンドトラック盤で音楽による表現を堪能したりと、何度も楽しんでいました。後にライセンスビジネスを手掛けるようになったのは、この頃のユーザーとしての体験が幸福な記憶として脳裏に焼き付いていて、その幸福感を生み出す側として仕事をしたいと自然に思えたから。振り返れば、絵本、テレビ、漫画、映画と、日米にまたがってたっぷりと良質なコンテンツに浸り続けた、幸せな子ども時代でした。