2-2

映画制作の仕事はとても楽しいものでした。さまざまな専門性を持つ職人たちが集まり、協力してひとつの作品を完成させていくプロセスは、家づくりと似ています。プロデューサーは全体像を描く設計士、監督は現場を仕切る棟梁です。お客様(映画であれば観客、家であれば施主)を笑顔にする作品を仕上げ、納品する。でも納品したらそこで終わり。チームも解散します。そんな一期一会の仕事の仕方には少し寂しさもあり、また中学生の頃に触れたビデオパッケージや関連グッズなど二次的ビジネスの広がりにも関心がありましたから、映画制作以外のコンテンツビジネスの動きにもアンテナを張る作業は怠りませんでした。

そんな20代後半のある日、私はプライベートで広島国際映画祭を訪れました。世界的なアニメ映画祭としても知られていたイベントで、元来アニメ好きの私は個人的な楽しみも兼ねて出かけたのです。そこで出会ったのが、クレイアニメーション作品でニック・パーク監督の『ウォレスとグルミット』(当時は『ウォレスとグロミット』)と『快適な生活』。ジャンルは私が子供の頃から大好きなお腹を抱えて笑えるコメディで、感動もしっかりと残る作品でした。この作品との出会いがその後の私の人生に大きな影響を与えることになるなんて!

アニメと言えばセル画を用いた動画と思っていましたから、監督の爪の痕が残る粘土の人形を1コマずつ撮影して動画を作るという手法自体も新鮮でした。すっかり気に入ってしまい、レーザーディスクで何度も鑑賞したいと思った私は、その足で映画祭に出展していたパイオニアLDC社のブースに向かった(同社はアート系アニメを多く扱っていました)のですが、残念ながら扱いなし。そこですぐに、映画のクレジットに出ていた制作会社「アードマン・アニメーションズ」の連絡先を調べ、国際電話で「レーザーディスクは出していないか」と尋ねたのです。作品にほれ込んでいたとは言え、仕事場である山本又一朗さんのオフィスの電話を借りて、山本さんの目の前でプライベートな用件でイギリスの制作会社に国際電話をしていたのですから、今考えると自由過ぎますね(笑)。

電話先の方は、こんな藪から棒の日本人ファンの問い合わせにも丁寧に対応してくださり、『ウォレスとグルミット』はとても大切な作品なので、レーザーディスク単体での商品化などではなく“as a whole”で―全ての(権利を)まとめてー 扱ってもらえる相手を探しているのだ、と教えてくれました。レーザーディスク欲しさのあまりイギリスまでかけた電話で偶然聞いた、この“as a whole”という考え方。ライセンスという単語に権利という意味があることを初めて知ったのもこの時です。この1本の電話が、私とライセンスビジネスとの実質的な最初の出会いでした。

数年後、30歳になった私は日芸の先輩に誘われてソニー・ミュージックエンタテインメントに入社しました。ある海外プロジェクトのメンバーとして声を掛けてもらったのですが、1年ほどして異動した先がキッズアニメ部門。この部門では、クレイアニメの『ピングー』や『バーバパパ』『スノーマン』『セサミストリート』など、名だたるキッズコンテンツのライセンス映像商品を扱っていました。当時のソニー・ミュージックグループには包括的なライセンスの取得と行使を主務とする会社、グッズなどの商品開発を行う会社などがあり、連携して手広くライセンスビジネスに取り組んでいたのです。

これが私にとって千載一遇のチャンスであったのはご想像の通り。キッズアニメ部門の部長と信頼関係を築いた私は、入社5年を経て満を持して『ウォレスとグルミット』のライセンス買付を社内提案し、実現に至ります。映像作品、劇場公開作品、音楽商品、グッズなど、ほぼ全ての権利―“as a whole”―を取得できたのです!ライセンスビジネスを手掛け始めた初期の段階でその理想形と言える仕事を達成できたことは私にとって大きな成功体験でしたし、何より1人のファンとしてひとつのコンテンツに注いだ愛情がビジネスに結実したことに、自信を深めることもできました。 権利を取得した後は国内でのプロモーション展開。ここからが収益確保の本番ですから、必死で取り組みました。YouTubeもSNSもない時代、ジオラマの実物展示と作品上映とグッズ物販をセットにして日本各地を巡業する中で、情報の拡散の仕方や想定ターゲットと実際のファンの違いを学んでいきました。ターゲットは内容から考えて当初は幼い子供と母親を想定していましたが、実際のコアファンはアート系やインディーズ系の映画愛好者であることが分かり、プロモーション施策を修正したところ、見事的中。ターゲットに関する考察の深耕はその後の仕事にも影響する大事な気づきでしたね。『ウォレスとグルミット』では、権利の取得からプロモーション展開までを網羅的に経験したことでその後の仕事に適用可能な「型」を得ることができましたから、まさにここが私のライセンスビジネスキャリアの原点と言える、思い出深い仕事なのです。