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ソニー・ミュージックエンタテインメントには約10年お世話になりました。その間のライセンスビジネスの実績が目に留まったのか、2014年にウォルト・ディズニー・ジャパンにヘッドハントされました。ミッションは前年に立ち上がったばかりのディズニー・チャンネル向けの番組調達です。

ディズニーと言えばご存じの通り世界に冠たるブランドの一つですから、在籍中にはブランディングの考え方をみっちりと学ぶことができました。ソニー時代には海外コンテンツを日本の顧客向けに調整して打ち出す場合もありましたから(一見すると子供向けの『ウォレスとグルミット』をアート系映画ファン向けに修正して訴求したのはその例です)、ディズニー入社初日にも副社長相手に「ディズニーブランドを打ち出すには日本向けの独自のブランディング施策が必要」という話をしたところ、言下に「ディズニーではその考えは必要ない」と言われました。その理由は「ディズニーブランドは一つしかないから」。ディズニーのブランドは「世界中どこに行ってもひとつであり、国ごとに異なる部分があるとすればその伝え方だけである」という主旨でした。そして「ブランドとは提供価値を約束すること」であり、「提供価値はブランドオーナーの哲学が規定するもの」であることーつまりブランドの構築と維持はオーナー側の極めて意思的な行いであることーも学んだのです。これは私にとって、現在の仕事につながる非常に重要な学びでした。

番組調達ではやがてウォルト・ディズニー・ジャパンとしてのオリジナル番組も制作することになりました。キャラクターは、ミッキーマウス、くまのプーさんと並んで日本で非常に人気の高かった「スティッチ」。スティッチを主人公に、沖縄を舞台とする日本版番組を制作したのです。国内のアニメーションスタジオとの共同作業だったのですが、制作プロセスでのブランドの扱いには苦労しました。日本の制作スタジオには、それまでの実績に基づいたプライドもクリエイターとしての一家言もありますから、作品の内容にも独自の提案を出すのですが、これがディズニーブランドとは相容れない部分も多かったのです。当時はアニメスタジオの間ではまだブランドの概念理解は成熟していませんから、時に正面からぶつかり、時に譲歩し合い、何とかディズニーブランドとスタジオプライドの両立を図りながら番組制作を進めたのを覚えています。

ディズニーで得たもう一つの大きな学びは、事前準備の重要性です。スティッチの日本版番組は初の試みですから、踏襲すべき前例もありませんでしたし、当然ながら全社規模の大きなプロジェクトでもありました。エンターテインメントコンテンツ制作は多くのスタッフの膨大な労力と時間、そして予算を必要とするビッグビジネスですから、成功を収める確率を可能な限り高めておかねばなりません。よって一般的には、作品がグローバル公開されることが前提の場合、担当プロデューサーやマーケティング担当者は、まずその作品の設定が制作国を含むメインテリトリーで受け入れられるのかを確認するために、あらかじめ視聴者を想定し綿密に調査をする必要があります。ここでは視聴者の感性や感情に踏み込む定性調査と、データで集計できる定量調査というマーケティング手法が活用されます。その際は「ターゲット視聴者はこのデモグラフィックだろう」「この設定はここが課題なのではないか?」「この部分はきっとウケるに違いない」といった仮説を立て、調査は仮説を検証して作品の軌道修正を図ることが求められます。なぜこれを実施することが大切なのか?それは確実に市場で成果を出す確率を極限まで高め、先に述べた制作に要する膨大なコスト(労力、時間、予算)を回収できないという失敗のネガティブインパクトを極限まで低減する必要があるからです。そして、十分な調査を行った後は、その結果は厳正なものとして受け取り、全関係者がコミットする必要があります。調査結果を元に繰り出される戦略は、全ての関係者が一致団結して同じ方向に進むためのコンパスなのです。ディズニーでももれなく事前準備として様々な市場調査を通じて、プロジェクト方針やマーケティング戦略を立案させました。 ディズニーでは約10年働きましたが、その間の学びは現在の私のブランディングに関わる仕事の堅固な土台を築いてくれましたし、ディズニーブランドは強烈に意思的であった分、その考え方だけが世のブランドの絶対ではないということを教えてくれる反面教師的な存在でもありました。私はその後もう1社外資のエンターテインメントスタジオを経て独立し今に至りますが、多くのブランドオーナーの方々とお仕事をさせていただく中で、ディズニーで強く刷り込まれた「ブランドオーナーの意思の大切さ」を再認識する今日この頃です。これについてはお話ししたいことがたくさんあるのですが、また別の稿に譲るとしましょう。